35/past things collectomania
私たちは撮る/撮らないというのはどういう基準で選んでいるんだろうか?
まぁそんなことを私は何回もブログに書いていて毎回答えが出ていないわけだけれど、この間もっと深刻な問題に気がついた。
"撮ったのに現像しない写真、めっちゃあるんじゃない!?"
私の写真現像は、大体はLightroomに全データ取り込む→Lightroomで整える→LightroomでいじりきれないところをPhotoshopで触る って流れ。
Lightroomにまず取り込むのは、前後の写真を見比べるのが楽だし、プレビューで見るよりスムーズだから。そして何よりレートをつけられるから。
わかりやすいように、現像する予定の写真に星を一つつけて、、
"同じ構図で同じ被写体を撮って、三枚撮ったうちの一番最後の写真が一番良かったから、それ以外の二枚は現像しない" っていうのはわかるんだけれど、"この構図でこの被写体を一枚しか撮っていないのに現像しない" っていうのも結構あるなぁって思った。
そもそもなんで写真を撮りたいって思うんだろうね?
被写体が人物だったり、なにかオブジェでもそれを作った人に写真を見せることができるのなら、その人に喜んで欲しいから撮る、とかって理由ができるのはわかる。
でも、そうじゃないのなら、ただの自己満足だよね。いや、喜んで欲しいっていう気持ちも、自己満足だと思うけれど。
思えば前から、自分の為に活動している人が好きだった。
私が大好きなThe1975はよくインタビューで、自分達の為に音楽をやっていると良く発言している。私はそういう考え、すごく好き。
誰かの為に何かをしたいとかって気持ちは、自分が何かを目的を持って継続して続けていけば自然に湧き出てくるものでもあると思う。けれど、その誰かの為っていう気持ちを前面に押し出すのは開き直っているみたいで嫌だなぁ。
むしろ発信する側はそういう気持ちですら自己満足でしかないと考えているのが私にとっては自然だ。だから"自分の為に自分の活動をしている"という考えは好き、というより、自然、と感じる。
であるし、その方が自分で自分の活動に責任を持っているように感じる。
だから、私が写真を撮るのは全部自分の為だ。
あと私は記憶力が弱い。だから、メモ的な感じでシャッターを切る癖があるんだと思う。
だから、撮っても現像しないものがある。誰にも見せない写真もある。ただ自分が楽しむ為のものだ。
お仕事の場合と日常で撮るスナップの場合は、その時撮る写真に対しての考えは違うが、それは"お仕事か趣味か"とかって理由ではなくて、ただ単に"目的が違うから"だ。
私の生き方や私の勤めている会社の方針として、お仕事と遊びの境目が曖昧というか、"楽しくお仕事しよう!"、"自分が触れること全てがお仕事に通じている"という感じなので、"お仕事か趣味か"という境界は存在していない。
これから先もきっと同じ事を考えるけれど、でも結論はきっと、、、同じ所に行き着くはずだ。