34/蜘蛛の糸
最近はお仕事がバタバタで、夕方に起きて朝方に寝るというサイクル。
なので朝方のスナップが日課になってきている。
写真を撮るということは何かしらの感情を対象に持っているということ。
蜘蛛の巣ってもっとちゃんと規則正しく組まれているものと思い込んでいたけれどそんなことはないっぽい。
蜘蛛の巣は全部が粘着質なわけではなく粘着質な液体を等間隔で巣にくっつけていて、蜘蛛はその液体を避けながら巣の中を移動しているそうだ。だから、乱れている部分には、それに気がつかずに自分の足を引っ掛けてしまった箇所もある。それ以外にもきっと、風が吹いたり、獲物をとるうちに崩れたり、、。そもそも規則的に巣を作るのが苦手なのかもしれない。
そういうことを考えて、無意識に自分に置き換えて考えて無意識に自分を慰めるような解釈も想像しているのがすごく嫌いだ。
自分のやっていることに誇りを持っているのは素晴らしいことだし、それを貫きたいという気持ちは当たり前のものだと思う。
だけれど、その気持ちをあんまり肯定しすぎるのは好きじゃない。
音楽もそうで、あんまりにも
「私たちは苦しみながらも進んでます!!なにがあっても突っ走って行こう!」
とか
「周りの大人が言うことやルールなんて意味わかんない!周りが私たちを苦しめている!だから私たちは私たちだけで突き進むしかないんだ!」
とかっていう歌詞の曲は私は聴けない。
そういう曲かそういう曲でないかは、”向き合っている”か”開き直っているか” のどちらに感じるかっていうすごく曖昧なものではあると思うし、
”アーティスト本人は人生に向き合って生きてきているだろうに、歌詞だけ見ると開き直っているように感じてしまう”
とか、
”インタビューでは、壁にぶち当たってから人間的に成長をした、と言っているが、曲は以前と変わらず開き直っているものばかり”
っていうものもある。
その作品だけでそのアーティストの人間性は知ることも理解することも無理だと思うが、作品には必ずその人の思想が乗る。
よく、”現状で満足したら成長はない”というが、私はそうではないと思う。
成長とは変化することであり、必ずしも良い方向に変わることが成長とは言わないと思う。良いか良くないかなんて見る人によって変わるから。
きっと開き直った時に変化できなくなってしまうんだと思う。