9/IntervalOfBreathing
生きている/生きていないっていう話
『この写真は止まっている』『この写真は死んでいる』『これは動きがある』
これを言葉にしてもなかなか理解するのは難しい。けれど、それについてよく考えるとこう思ってくる。『私はその切り取った瞬間を本当に尊い一瞬だと思えていたのか?』
これは本当に難しい話だと思う。
例えば、バンドのライブで、ギターボーカルが30分中20分はスタンドに取り付けられたマイクの前で歌っている予定だ。で、その時間のうちに写真を撮ったとする。
例えば、そのライブの3曲目は、今まで通りならサビの終わりでメンバーが全員でジャンプする。ある程度のカメラのセッティングはしておいて、それを待って撮った。
マイクの前で歌っている時間は20分間。それは、一瞬の出来事ではない。
ジャンプをするのは予定に含まれている。トラブルがなければ行われる。
本当にそうだったとしても、その条件が揃ったとしても、写真が『生きている』『死んでいる』という差が生まれている。
その理由は、私は、『尊い一瞬だと思って撮ったか』、という撮影者の心の持ちようだと思っている。
予定通りになろうが、今まで何度も体験していることだろうが、これから目の前で起こる出来事を一瞬の出来事の連続だと考え、虎視眈々と狙っていたか/どうせこれから20分間は同じ場所で同じことをしているからいつ撮ってもいいやと特に何も考えずにいたか
この考えを持つ人の間にはすごく深い溝がある。でも、前者の考えを持っている、と当然みんな言うと思う。
その真偽は、写真を見ればある程度わかる。それは、同じ事象を撮ったものであってもクオリティーの差が目に見えてわかると言うこと。
なんでかと言うと、前者の考えを持つ人は、その一瞬一瞬を逃さないように準備をする。
その事象がもし起こった時にどう撮るかを考え、レンズチョイスを考え、カメラのセッティングを調節し、撮るポジションを考え、、
後者は一瞬を一瞬だと考えていないわけだからその準備が当然遅い。というより考えていないと思う。
だから、備えている人/備えなかった人で差が出るのは当然。
呼吸をしている。瞬きをしている。風に吹かれて服や髪の毛がなびいている。
例えば、生きている人間を撮った写真なのに『動きがない』って、すごく不思議だ。
私はこの話、直立不動の人が写った写真よりもジャンプしている人が写った写真の方が動きがあります、とか言う単純な話ではないと思う。
あと、シャッタースピードを速くして動きをピタッと止めたものよりも、シャッタースピードをやや遅く設定してブレさせたものの方が躍動感があるとか、そういった話でもない。それは伝えるための手法のチョイスの話。
だから、結局、膨大な時間の中から切り取る瞬間を選ぶのは撮影者であり、準備をすればするほどしなかった時とのクオリティーの差は開く、ってことだと思う。そして、瞬間瞬間を大切に思える人は瞬間が見え、大切に思えない人はただダラダラと時間が流れているのを感じるだけ。
大切にしようと思い、頑張る、って言うのは汗水垂らして動き回るだけのことを指しているのではなく、いろんなことを考えまくって行動することも含まれているということ。
ただしその目に見えない努力は、少なくとも写真という目に見える形に現れると思う。
死んでいる瞬間は現実には存在しないと思う。でも、撮影者が死んでいると思えばいくらでも殺せる。だし私は、カメラマンが、撮らなかった瞬間、フレームアウトさせた空間はカメラマン自身が殺したも同然なんじゃないかとかいう考えも持っている。
だからやっぱり、生きたものをそのまま生かすも、それを殺すも自分次第。