25/写真と言葉
この所続けて二つ、”良い写真とはどんなものなのか”という題材でブログを書いた。
公開してみると、”写真に言葉はいらない”、”写真に説明文はいらない”といった意見を良く見る。
話は変わるが、私は小学生の頃からASIAN KUNG-FU GENERATIONが好きで、よく親にROCKIN'ON JAPANとか、音楽と人とかの音楽情報雑誌を買ってもらっていた。高校生になってコピバンを組みバイトをするようになってからは、バンドスコアが載っているGiGSを買っていた。
私が雑誌を買っていたのは、好きなアーティストが作品に対してどういうメッセージを込めたのか、どういう思いで作ったのか、何に影響されたのかを知りたかったからだ。
受け取り手がどういうメッセージだと捉えるかはさておき、伝える側が何を伝えたくて
それを作ったのかを知ること、なんでそれを伝えようと思ったのかを知ることは、その作品やアーティストをより深く知るための手段の一つだと思う。
それが、私が”写真に言葉はいらない”、”写真に説明文はいらない”という意見に賛成できない理由の一つ。
予備知識があったり、作者の人間性が分かった方がその作品をより理解できると思う。
杉本博司さんの作品に「海景」シリーズというものがある。
これは、
「人類が最初に見た風景は海ではなかっただろうか」
「海を最初に見た人間はどのように感じたか」
「古代人の見た風景を現代人が同じように見ることは可能か」
という問題提起を立てている。
「人類が滅んでも水平線は変わらずにある」
というメッセージを込めたものだと思っている。
そしてこの作品は、このコンセプトを知った上で見るべきものだと思う。
昨日タツさんのブログに書いてあった言葉を引用する。
写真のデジタル加工においてPhotoShopやLightroomを使う人が多いと思う。
しかしながら、根本的な考えとして
【腐った写真を良く見せる写真に変える】という概念は完全に捨て去った方が良い。
しかしながら、根本的な考えとして
【腐った写真を良く見せる写真に変える】という概念は完全に捨て去った方が良い。
私が
”良い写真とは意図がわかり、尚且つそれを言葉で説明できるもの”
と書いたのは、決して”言葉で誤魔化す”という意味合いではない。
アートは、文字等と組み合わせて一つの作品になる、そうすることで成立するものがある。コンセプトを知った上で鑑賞すると意味を持つ作品だ。
これが二つめの理由だ。