24/words
前回、”良い写真”、”良い写真を撮る人”というテーマでブログを書き、その後ツイッターでもそれに触れたが、今回はその補足を書いていこうと思う。この間の一投稿だけではわかりずらかったかもしれないから。 そのツイッターで書いたが、私が思うに”良い写真”とは”意図がわかるもの”だ。細かくいうと、”意図がわかり、尚且つそれを言葉で説明できるもの”だ。 「この観光地のパンフレットに載っている写真、一見普通だけれど、広角で撮ってからトリミングしているから前後左右ほぼ全てにピントが合っている。そこからの眺めがわかる良い写真だね。」 とか 「この指輪の写真、マクロで撮っているだろうけれど、絞りを絞っているから端から端までピントが合っているし、光を回した状態から光量を調節して陰影をつけているからコントラストがつきすぎていないし、 白とびもしていない 。デザインがしっかり見えるから良い写真だね。」 とか 「このライブ写真、アーティストの顔はしっかりわかるし、PA卓辺りから望遠で撮っているからお客さんの手が上がっている様子が強調されて、迫力を感じる。空気感が伝わる良い写真だね。」 とかってことだ。 各々の好みの話を、<”良い”、”良くない”>の基準にするのではなく、”意図がわかり、言葉で説明できるもの”だと考えた理由は、 他者との共通言語にできるからだ。 つまり、カメラマンが撮る時にどれだけ細かく気にしているか。 どれだけ相手と情報を共有し、お互い完成に向けて考えたか。 だから私は、”良い写真を撮る人”は、 ”物事の細かいところまで関心を持ち、愛情を持ち、瞬間瞬間を大切にし、伝えたいことを伝えられるように考え行動し続ける人”だと思った。 私がこの事について考え始めたきっかけは数年前、(自分の写真を、自分はもちろん好きだし気に入っているし良い写真だと思っているけれど、言葉でどうやって人に説明しよう?)と思った時だった。 一番最初は、自分の写真は良い写真で、そこを言葉でどうやって説明しよう?と考えていたが、実際はそういうことではなかった。 ”自分がなんとなく撮っていた ”、だから”自分が”良い”と思っていた写真は、ただ見栄えが良いだけで